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中国の江沢民元国家主席が死去した。共産党政権が学生や市民を虐殺した1989年の天安門事件直後から約13年間にわたり、党総書記として中国を統治した。
社会主義市場経済を掲げて経済成長を果たし、世界第2の経済大国となる基礎を築いたと中国では評価されている。
だが、江氏が天安門事件に対する共産党政権の非を決して認めずに、巧妙に国際社会に復帰したことや軍拡、反日教育に走った点を忘れることはできない。
習近平政権発足後、江氏が率いる上海閥は、習氏と激しく対立してきた。それでも、台湾や南シナ海をめぐって平和を脅かす習氏率いる強権中国への道を敷いたのは江氏だったといえる。世界に与えた負の側面は大きい。
江氏は、91年の湾岸戦争で米国の圧倒的軍事力を目の当たりにし軍拡の道を突き進んだ。
台湾では96年に初の総統直接選挙が行われた。江氏は投票に先立ち、台湾周辺海域へミサイルを発射するなど軍事演習を実施し台湾の人々と民主主義を威嚇した。
習氏は、江氏の強硬路線を継承し、拡大させている。今年8月のペロシ米下院議長の訪台時は大規模軍事演習を重ね、日本の排他的経済水域(EEZ)内にもミサイルを撃ちこんだ。
江氏は、日本に経済協力を求めるのと同時に、国民には反日教育を推進した。旧日本軍を残虐と指弾して、共産党支配を正当化する「愛国教育」がそれである。98年11月に中国の国家元首として初めて日本を訪問したが、宮中晩餐(ばんさん)会で歴史問題に言及し、日本側から顰蹙(ひんしゅく)を買った。
ゆがんだ愛国教育を受けた若者らのナショナリズムが高揚し、後の大規模反日デモにつながった責任も重い。「歴史戦」を許した日本側も反省が欠かせない。
江氏は97年、英国からの香港返還を実現し、2001年には中国の世界貿易機関(WTO)加盟を果たした。この際に中国はもはや途上国でなく、責任ある大国となることを約束したはずだった。
だが、今や香港の一国二制度は反故(ほご)にされた。中国の貿易慣行はWTOルールをないがしろにして各国との軋轢(あつれき)を生んでいる。
日本や欧米諸国が江氏に油断したことから、習政権が地域や世界の脅威になった。この過ちを繰り返してはならない。
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2022年12月2日付産経新聞【主張】を転載しています